  
ブルーミュージック コンサートへの招待
ビルの曲がり角で一人の男とぶつかりそうになった。 「おお!!」と、お互いが声を出した。あのバンジョウ弾きの男性であった。「どこに行くんですか」と聞いた。「今晩、ここでコンサートをやるんだ。4バンドが競演する」、「何時からですか」と僕、「8時から12時(真夜中)迄、「そこのメモリアルホールを借りている」と彼、「行きたいね」と僕、「待っているよ」と彼。「こんな縁珍しいね、数秒違えば会えなかったんだ」と僕、彼は「そうだね、準備があるから」と言いながらポケットから、1枚の「名刺」を僕に渡した。僕も名刺を渡した。「真夜中の12時は不安だ。爆弾テロが発生している」、心の中では「止めようかな」と動揺していた。映画「Nothing Personal」で真夜中に、寂しい裏通りで帰宅中のカトリックの父親が襲われるシーンが思い出される。まるで、舞台が整った感じがする。PUB行きの予定を変更し、カメラと「名刺」を取りに帰ることにした。Quayside
Shopping Centerで食料を買い、B&Bで休憩を兼ねて食事する事にした。北側の通りHigh Streetから帰ることにした。Bloody
Sunday Memorialが近い。明らかにカトリックのエリアーの雰囲気だ。壁絵や落書きがある。広い舗装された道を時々車が行きかう、人影はない。
大型スーパーマーケット
Foyle川沿いで、駐車場の完備した近代的大規模店舗である。「2階建」で日本のスーパーと同じ間取りだ。1Fに食料と「お惣菜」コーナがある。米やカップ麺、調味料もあるが日本製は一つもない。ただ、キッコーマン醤油の小瓶があるのには驚いた。結構中国製が多い。カップめんとパン、牛乳を買いB&Bに戻った。備え付けのポットでお湯を沸かしてカップめんを作った。カレー味だがまずい。コヒーで味直しした。広い窓を通して明るい光が差し込んでいる、天気はいい。日が暮れても、日本のようにすぐは暗くならない。8時近くまで「明るい」。夜に備えてベッドに横になり休むことにした。7時半B&Bを出てコンサートに向かうことにした。WaterLoo PlaceからShipquay Gateから入った。少し暗さが感じられる。今まで多くいた車も人もどこに消えたのだろう、静寂だ。PUBやHOTELが開店しているだけだ。WaterLoo Placeはなお一部閉鎖されている。騒ぎはほぼ終わったようだ。2台の装甲車と4人の機動隊員が立っている。「野次馬」がわずかに残っている。「あの物々しい騒ぎ」はなんだっただろう。狐に抓まれた感じだ。しかし、映画「Nothing Personal」の暗くて残忍なテロの場面だけは僕の脳裏からは消えない。Gateはもちろん扉はないので出入りは自由だ街灯は明るい。全店閉まっている。店の2階、3階は居室だろうか明かりがある。高級HOTELの前だけが明るい。
 
20時前、メモリアルホールが見えてきた。石造り4階建てのビル前に街灯がついているだけだ。「日を聞き違えた?」と思いながら門前に来た。椅子に座った2人(男)の受付がいた。「こんにちは、どうぞ」と挨拶をした。チケットもなければプログラムもないが「料金は5£」だと言った。料金を渡すと「2階が会場でビールは2ポンドで飲みながらOK」と言って、前の階段を上がるよう指示した。2階がホールで、「自由にお座りください」と案内した。すでに60人ぐらいがテーブルを囲みビール、タバコで話しながら開演を待っている。会場のほぼ真ん中に座った。舞台横で4組が調音をしている。アンプも全て持参しているようだ。薄暗い照明でスポットライトもない。ただ、司会者用のスタンドマイクが中央にある。50歳以上の夫婦が多く中には子供連れもいる。若者は数人である。調音が済み演奏準備が完了したようだ。その時、「ようこそ、今晩は」と声を掛けられた。バンジョーの彼だとすぐにわかった。「僕の妻を紹介するよ、来てくれ」と、最前列の娘さんと奥さんを紹介した。「こんばんは、渡邊です」、「今晩は、よろしく」と彼女達はニッコリ会釈した、なかなか美人だ。娘さんは背中と胸が大きく開いたイブニングドレスを着ている。妻は特に着飾りはない。「何番目の演奏ですか」と僕、「演奏は最後で、開始は12時前になります」と言った。座席に戻ると暑いのか汗ばんでいた。正装した少々若い男が司会用のマイク前に立った。「開演」の挨拶をした。グループの紹介、「記念競演」の意義を説明した。年1度のMaden
City Festivalの一環で、2グループはアメリカからの参加だと紹介した。
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