南グレイト・ジョージーズ通り、もう慣れた道だ。レストランの前に着くと、年配の婦人が一人で店に入ろうとしていた。彼女の開けたドア−が閉まらない内に、後ろからついて入った。前回同様、1時を過ぎているが客で満席に近い。彼女は空席を探しているようだ。彼女の前の4人掛けのテーブルが一つだけ空いている。一人の彼女は、そのテ−ブルに座らないで立っている。僕は思い切って彼女に、「もし、よければ一緒に座りませんか」と声を掛けた。彼女は「それではご一緒にお願いします」と丁重に答た。その時、「例のマスタ−」が彼女の前にやって来た。一昨日の「無礼な男だ」。黙って彼の様子を見る事にした。驚いたことに、彼は丁寧に「お二人ですか」と彼女に尋ねた。昨日の傲慢な態度とはえらい違いだ。彼女が「そうです」と答えると、彼はその空いているテ−ブルには案内せず、右手の奥の方に案内した。そこは、先日来た時は見えなかった。そこから地下への階段がある。彼は「どうぞこちらへ」と、にこやかに笑いながら階段を降りて行った。「何か訳」でもあるのか、彼女に対して恐ろしいほど親切である。
地下室には丸い二人掛けテ−ブルが数卓と、大きいテーブルがある。どのテーブルにも白い綺麗なテ−ブルクロスが敷かれている。1階と違って高級なレストランの感じがする。壁の照明がランプのようで、ム−ドがよい。テ−ブルの間隔も広く落ち着いている。既に、3組の客が食事をしていた。彼女はス−プ、メインに「野菜炒」とライス、デザ−トにコ−ヒ−を注文した。僕も、同じ物をお願いした(この方法は必ず美味しい物が来る)。彼が立ち去ると簡単な自己紹介を済ましてから、「ここは、よく来るのですか?」と尋ねた。「昼食によく来ます。旅行者も多いのですが、私達の様にこの近くで仕事をしている人達も利用するのよ」と答えた。この品のある婦人の職業とは、なんだろうと興味を抱いた。「どんなお仕事をされているんですか」と聞くと、「トリニティーで講義を受け持っているの、今私の昼休み時間なのよ」とニッコリ笑った。栗色の髪を「おかっぱ」のようにして化粧はしていない。顔だちのいい人で穏やかな人だ。50才は十分過ぎている。ウエイトレスが、コ−ンス−プに似たス−プを持って来た。「とても美味しいですね」と言うと、「このス−プはおすすめ品よ」と目をクリッとした。僕とは、対象的に落ち着いた話し方だ。
彼女は、簡素な服装なのに不思議な魅力と品がある。ランチのメインは、中皿にライス、深皿に「八宝菜」が入っている。彼女は、八宝菜を必要なだけスプ−ンに載せ、それをライスにかけて食べている。もちろん、彼女の真似をして食べた。日本なら、さしあたり中華丼だ。話ながら、ずいぶんゆっくり食べたようだ。時の経つのを忘れていた。そっと時計を見ると、すでに2時をさしていた。列車の発車時間も気になるのだが、「彼女の授業は、大丈夫だろうか」と心配した。「昼休みは何時までですか」と尋ねた。「今日は、3時迄に学校に戻ればいいのよ」と落ち着いたものである。コ−ヒ−もまだなので、食事が済むのは2時は確実に過ぎると思えてきた。僕一人ならコ−ヒ−も飲まずに出るのだが、相手に「失礼」でそんな事は出来ない。「これも、なにかの縁であろう。14時20分の汽車は諦めて、次の16時過ぎの列車に乗ればよい」と決断した。食事を楽しんでいる彼女の顔を見ながら、心の中でそう呟いた。客は皆ゆっくりと食事をしていて、「時間」を気にしていない。食事が終わりコ−ヒーが来た。コヒーカップを持った彼女の手の指に、「結婚指輪」が見えた。「ご主人さんも、お勤めですか」と聞くと、「主人はいないけど、いるのよ」とニコッと意味ありげに笑った。しかも、ちょっと「からかう」ような顔で僕の顔を見た。
彼女のその言葉の解釈に困った。「不思議?・・・」と、躊躇した僕の表情を見取った彼女は、その指輪を指から外して僕に手渡した。僕は、それを「慎重」に受け取った。彼女は僕に、指輪の内側を指し示しながら、「内側の刻銘をご覧になって」と言った。そこには「St.・・・・・・」と書かれていた。St
(聖人)以外の字は、はっきりと読めなかった。しかし、直ぐにその指輪を彼女に返した。彼女は指輪を大切そうに指に戻しながら、「私はすべてを神にささげているのです。私の主人は神なのです」と言った。彼女はトリニティ−で神学のような科目の講師をしているのだろうと思った。ところが驚いたことに彼女は僕に、「日本は復興して、世界のトップまで経済発展をしたね」と経済の質問をしてきた。僕は「経済発展はしたが、それに伴って公害や人間性壊失など増えているんですよ」と説明した。割り勘をして貰って店を出ると、2時半近くであった。もちろん、2時20分の列車には間に合わない。でも、「有意義な時間」を過ごせて良かったと思った。明るい光がダブリンの街に降り注いでいる。彼女は、「途中まで送ってあげる」と言ってくれた。トリニティに近いアイルランド銀行前で分かれることにした。次の汽車迄、2時間ほど待ち合わせ時間がある。ヒュ−ストン駅までバスで行くことにした。レフィ−川に面したバス停に、5人ほどの客がいた。暫くするとほぼ満員のバスが来た。
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