支払いをしながら、僕は「お元気でね」と言った。彼女はリンゴの袋を手渡しながら、「ちょっと待ってて、着替えてくるから」と言いって部屋に戻って行った。戻ってきた彼女は「行きましょうか」と言って玄関のドア−を開けてくれた。スラッとしたズボンにブラウスを着ている。少々化粧をして綺麗だ。彼女はドア−の鍵を閉め「荷物が少ないので、一緒に歩きましょう。バス停はあなたが今朝散歩した海岸通よ」と言った。彼女と僕は歩道を並んで歩いた。まだ母が元気だった頃、久しぶりに大阪から田舎に帰ると「何か食べたい物はないの」と聞いてくれた。そして、僕が大阪に帰る時はいつも駅まで送ってくれた。そんな母を思い出だしてしまった。寂しいが別れが近づいた。荷物をまとめ階段を降りた。彼女は、「バスが来る迄20分以上あるわ。ソファ−にどうぞ」と勧めてくれた。朝と同じ下り坂を話しながら海岸に向かった。海辺のリゾート地ポートマーノック出会う人もない、静かな日曜日の朝だ。海岸通りのバス停に着いた。散歩の時バスが止まった停留所だった。「ダブリンに来たなら必ず訪ねて来てね」と言ってくれた。「はい必ず訪ねます。その時はよろしく」と言いながら砂浜の方を眺めた。
もう、砂浜には朝の老人の姿はなく沖合の貨物船の船影もない。白い砂浜と穏やかな海だけが、朝と変わることなく見えている。前方から北進してくるダブルデッカ−が見えた。スピ−ドを落とし始めた乗客は少ない。ドア−が開いた、乗る前に彼女に小さく別れの手を振った。彼女は、少し寂しそうな表情を見せながら手を振ってくれた。運転席横の料金箱に1ポンド10ペニ−を入れるとバスは発車した。彼女の姿が見えるように、一番後ろの座席に座わった。荷物を下ろしバス停の方を振向いた。すっかり彼女の姿が小さくなっていた。まだ、彼女の姿がかすかに見えている。バスはY時の交差点を左に曲がり、海岸と彼女にお別れをした。バスの姿が見えなくなるまで見送ってくれた彼女、懐かしい母をすっかり思い出してしまった。「げんきでね。必ずまたくるね」と心でつぶやいた。バスはゆっくりとカーブを左に曲がり、南に方向を向けると一直線にダブリン空港に向かった。道路は混雑もなく30分程で空港についた。アンナの町スウォ−ドは、空港から北にバスで30分位の丘陵地にある。ポートマーノックは空港から30分ほど東の海岸にある。
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