BACK 朝のケネディーパーク      

 ウィリアムズ通りから小さい裏道に入った。古いビル街の路地でひっそりしている。奥に聖ニコラス教会の中庭が見えて来た。石造りで屋根に、薄い緑のとんがり帽子の時計台が聳えている。写真を撮うとポーズをとっていたら、「あそこからが一番良いですよ」と後ろから声がした。サラリ−マン風の男性が、自転車を止めて「教会全体が入るよ」と再び指差した。お礼を言うと、ニコッと会釈して立ち去った。自転車に乗った人は少ないが、裏通りでは駐輪を見かける。教会の正面入り口の高い鉄の扉は開いたままである。小さい中庭が有り、奥に古いブリック建築の講堂がある。ずっしりと重量感のある大きな木製の扉は閉ざされている。近づくと「拝観料1ポンド」と質素な張り紙がしてある。鉄の取手を握り、大きな扉に体重を掛けながら押してみた。「ギー」と鈍い音を立てながら開いた。入り口付近は薄暗くてなにも見えない。急に暗いとこに入った為目が慣れない。右手奥にかすかな電灯の光がある。入り口から右奥に礼拝堂が広がっている。前方に鈍い光を放っているテ−ブルに気がついた。その上に「本と土産物が」置かれている。椅子に一人の地味なポロシャツを着た中年男性が座っている。

 彼は静かにこちらを見ていた。「拝観料は・・」と聞くと、「拝観料ではなく寄付なんです。この建物の維持費なんです」と静かな言葉が返ってきた。礼拝堂の中には、僕と彼以外誰もいない。薄暗く静まり返った広い講堂の建物に、二人の交わした僅かな言葉が鈍く響いている。講堂の中央は、幅2m程の通路(バージンロード)が奥の演台に続いている。両側に長椅子と机がそれぞれ10列ぐらい並んでいる。建物は「2階」はなく此処から直接に高い天井までが見えている。左右の壁及び奥の正面に、大きなステンドグラスの窓が数カ所かある。1ポンドを払うと、彼は椅子から腰を浮かせた。そして、目前のボックスを指さしながら、「そこのパンフレットをお取り下さい。当教会の案内が8カ国語で書かれているんです」と言って又椅子に座った。ボックスは質素な古い木製でパンフレットが置かれている。英語、日本語、フランス語、ドイツ語、中国語、ロシア語などで書かれている。A−4判で、教会のイラストと解説が書かれている。質素な紙に、白黒の印刷物である。夏の旅行シーズンには、ここにも世界中の人々が訪れるのだろう。日本語の説明を読んでいたら、彼は僕の方に歩いてきた。「その石造りの台は、洗礼盤なんですよ。16世紀のもので、今でも使用されています」と、ガイドのように説明してくれた。洗礼盤は「御影石」のようだ。

 彼は、教会を説明してくれた。「この教会に、1477年コロンブスが立ち寄ったんだよ」と、大事な事を言い忘れていたように追加説明した。更に彼は、正面を指して「あのステンドグラスは、典型的なアイリッシュ・ステンドグラスで出来ています。絵にはキリストの変容が描かれています」と、丁寧に説明してくれた。彼は160cmぐらいで、髪の色の違いがなければまるで日本人のようだ。「有り難うございました。ゆっくり中を見ていきます」と言うと、「どうぞ」と言って椅子に戻った。再び教会内がしずまり返った。講堂内は何の音も聞こえてこない。「キリスト」に包まれた真空の宇宙にいるようだ。壁に沿って右回りに歩く事にした。歩く靴の音のみが、「キュッ、キュッ」と聞こえる。正面の、キリストのステンドグラスは、6面の絵に構成されていて、幅、高さとも、最も大きなものだ。それらは、薄暗い中で一段と神秘的な輝きを放っている。静寂以外、何もない「無」の世界、初めての経験である。長椅子の一つに、そっと座ってみた。ステンドグラスのキリストが正面に輝いていて、一人の罪人が、懺悔をしているようだ。気分も落ち着いたので、教会を出ることにした。